BPPV

自分の場合、明け方3時頃なんかおかしいと思って目が覚めて…その時点で天井が回ってた。
6時に会社に行こうと思って眼が冷めたらまだ回ってる状態だった。必死にロフトを落ちて母に症状を伝えたら、医療従事者の母は冷静に「救急車ね」っていって問答無用に運ばれたのでした。

夏の暑い季節だったこともあり、他に運ばれてくる人は私よりも具合が悪そうな人たちばかりだけど観てくれた先生は「他の人は落ち着いたら帰っていいけど、あなたは少し入院ね」って言って救急を出て行った。
それから3日だったか4日だったかまっすぐ歩けない状態に陥ってしまってたので車椅子生活。
入院自体は4人部屋に入れられて、急な入院だったのでがん末期患者の集まりの部屋しか空き部屋がなかったらしくて 毎晩「神頼みするしかない」みたいな内容の話をするオバサン達の声に気が滅入り私も死ぬんではないか等と思ったものです。
「ヨシコォォォォオオオ」って病室からシャウトする爺さんとかも居ましたね。同室のばあちゃんが「うるせえヨシコはいねえよ!」って言い返してて大笑いしたのを今でも忘れられません。

しかし、面会時間が21時までで消灯が22時だったこともあって友達が入れ替わり見舞いに来てくれて話し相手になってくれてたりしたので調子が良くなってからは殆ど病室に居なかった。この友達の見舞いがなければ私は今頃精神的にどうにかなっていただろうと思う。
1日に5つくらいの点滴を消化する日々が10日ほど続き、だいぶ目眩が減った頃自分から先生に退院のお願いをしました。

病名は「良性発作性頭位眩暈症(BPPV)」。

退院のあとも自律神経が完全におかしくなってしまって体温調節がうまく機能しなかったりした。
10分の間に体温が38度までいって平熱まで戻るのを1日に何度も繰り返す。後遺症の中でこれが一番辛かった。薬の副作用なのかなあ。よーわからんけども。
1ヶ月ほどの療養期間の間も仕事が降りてくるので、アシスタントさんに協力してもらって最小限に抑えてもらい無理のないペースで社会復帰をして少しずつ毎日出社するという形に戻せました。
2年経って今はもう大丈夫だけど、まだたまに目眩が来る前触れのふわっと浮く感じがあるので目眩止めの常備薬は持ってるようにしてる。
あと、生活のリズムを少しでも良くしようと朝散歩に行くという習慣をつけるために犬を飼い始めた。

この病気は完治という概念がないらしくて、目眩と上手につきあっていくしかないらしい。もちろん命には関係ないので収まってくればあまり問題ではないのだけれど。

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